愛知学院大学歯学部同窓会は昭和42年、田中 賢氏(1回生)が会長に選出され発足しました。発足当時は本校(商学部・法学部)同窓会の中に歯学部同窓会も繰り込まれており、愛知学院大学同窓会歯学部支部といった位置づけでした。それは、学校当局が愛知学院大学同窓会は1つの組織だと考えていたことと歯学部卒業生が少なかった事が考えられます。しかし歯学部の場合は、商学部・法学部と異なり同じ職業の単一組織である為、他学部と同じ活動では組織が成り立ちません。歯学部同窓会は発足当時から商学部・法学部同窓会からの分離独立が最大の課題とされていました。昭和45年11月22日の臨時総会で田中会長から野沢淳二(2回生)新会長にバトンタッチされてから精力的に本校同窓会からの分離独立の方向が打ち出され、学校当局、商学部・法学部同窓会との話し合いがもたれ、昭和46年5月7日付け合意事項を決定。昭和47年5月28日に開催された総会で、愛知学院大学歯学部同窓会連絡協議会、その他、資産の分配などを盛り込んだ移行措置および移行に伴う申し合わせなど細部の合意もなされ、愛知学院大学歯学部同窓会総則が成立し、これをもって名実とともに分離独立した歯学部同窓会が誕生しました。 その間、組織の充実を図るため各支部作りが精力的に推し進められていました。しかし愛知県においては、主に3つの理由から愛知県支部の発足が遅れていました。 1.本部同窓会が愛知県にあり支部同窓会の役割もしていた。(支部同窓会がなかった為に対外的活動は本部同窓会が代行していた。 2.大学が愛知県にあり、事が生じてもすぐ大学に依存できるという過保護的地域である事。 3.母校が愛知県に存在する事と関連して、卒業後医局員として大学に残り研修する同窓生が多い事。 この同窓生達は将来他府県に移動する可能性のある人達が多かったため、愛知県支部同窓会の必要性をあまり強く感じていなかった。また大学に残らなくても勤務医として残る人も多く、この方達すべてを入れると全国の同窓生の過半数が愛知県に在住するという特殊事情が存在しました。その為愛知県支部の組織作りは全く進展せず、地元でありながら全国の支部づくりのなかでは最も組織作りの遅れた支部になってしまいました。またこの支部づくりも他府県では支部長を選出し組織作りが出来上がっていくのですが、愛知県ではそれが成らず、まず班作りから開始しました。この班を基盤として、昭和46年6月に尾張・名古屋・三河の3支部ができ、尾張支部長に中野芳徳氏(2回生)が選ばれましたが、名古屋・三河支部はこの時点で発足していませんでした。昭和46年8月三河支部の支部長に加藤政一氏(1回生)が選出され、三河支部も発足しましたが名古屋支部は昭和46年10月25日現在でもまだ未定の状態でした。昭和47年3月12日、名古屋・尾張・三河各支部合同発会式が開催され、形式的には3支部が発足しましたが、その内容は各地区の連絡員を選出し、組織作りを行っていくというものでした。しかも連絡員を選出出来た地区は名古屋で(千種・北・中村・中・昭和・南・緑)の8地区、三河では(豊田・豊川・岡崎・高浜・幡豆・蒲郡)の6地区の合計20地区という現状でした。 本部同窓会も昭和48年5月27日同窓会総会終了後、ホテルナゴヤキャッスルにて他大学同窓会、愛知県歯科医師会会長、愛知学院大学長、歯学部教授、その他多数をお招きして懇親会が開催され名実共に対外活動を開始していました。しかし各地区では連絡員を中心に続々発会式を行っていました。昭和50年5月11日の支部長会議には班長の資格で14地区の班長が出席しています。地区の班長は以下のごとくでした。 東区・鹿田 傑氏(1回生)、西区・増田達之輔氏(1回生)、北区・内藤 毅氏(1回生)、千種区・安藤鉄也氏(1回生)、熱田区・山田 昇氏(1回生)、中川区・竹内豊彦氏(2回生)、港区・藤田善和氏(2回生)、中村区・伊藤武志氏(1回生)、中区・大萱博司氏(1回生)、守山区・谷口憲正氏(2回生)、天白区・東分吉氏(4回生)、昭和区・太田 功氏(4回生)、知多班・井田 蔀氏(3回生)、半田班・稲葉敏輔氏(3回生)、以上の各先生方が中心になって愛知県支部作りが本部組織局と合同で進められていました。 その後、昭和50年12月17日に第1回愛知県班長会議が開催され、永井歯学部部長出席のもとに、支部発足準備委員会が設置され、昭和51年5月30日愛知県支部発足総会が開催され、愛知県支部が発足し、支部長に山田 昇氏(1回生)が選出されました。役員の氏名は下記の通りです。 支 部 長 山田 昇@ 副支部長 外山康臣A 副支部長 榊原嚢人@ 監 事 鹿田 傑@ 監 事 大萱博司@ 理 事 浅岡清年@ 理 事 稲葉敏輔B 理 事 大口弘和E 理 事 梶口芳郎@ 理 事 佐藤勝義B 理 事 清水康行D 理 事 鈴木孝美E 理 事 斉藤康二@ 理 事 社本昇弘C 理 事 竹内政夫E 理 事 富田力男B 理 事 中川正夫B 理 事 広中正敏G 理 事 藤本 惇@ 理 事 増田達之輔@ 理 事 鈴木正輝E 敬称略 その年の12月5日、まだ発足して半年あまりの愛知県支部でありましたが、ナゴヤキャッスルホテルにおいて愛知県支部発会式が行われました。当日は学校側から小出先生をはじめ多数の恩師ならびに他校同窓会代表、歯科医師会から中田会長はじめ県歯の役員、地区会長など多数の来賓を仰ぎ盛大に行われました。 しかし発足して半年あまり、まだまだ組織作りや会務の未熟さに加えて会員の団結が得られない時であり、華々しく発会式をしただけで内部の充実にはまだまだ程遠い現実でした。組織作りと内部の充実を図っている間にも世間はもう一人前の組織として否応なしに対応を迫ってきます。そんな時期に愛知県歯科医師会会長選挙が勃発し、前代未聞の同窓会派閥による選挙が行われ、我々同窓会愛知県支部もこの渦の中に巻き込まれ大きな試練を受けたのです。結果は愛知県支部の推薦した吉兼先生が当選。この選挙に巻き込まれた同窓会としての功罪は省略するとして、今後もこの様な問題が起こらないとは限らない。同窓会としては今後とも慎重に対処する必要があると考えます。 昭和53年4月、山田執行部退陣の後をうけて大島慶久(1回生)が支部長に選出され愛知県支部の2期目が始まりました。会務の充実、会員相互の親睦、執行部と会員の対話、人材の育成、同窓会自身の力を高め、強いては苦難な歯科会を少しでも良くしていく決意のもとに心身を一新し出発しました。発足当時の役員氏名は下記の通りです。 昭和53年度 新役員 支 部 長 大島 慶久@ 副支部長 中野 芳徳A 専務理事(書記) 阪上 隆則D 常務理事(渉外) 渡辺 俊之A 理 事(渉外) 竹田 竜弥D 理 事 加藤 直彦D 理 事(学術) 大口 弘和E 理 事 中島 俊朗E 理 事 波多野光彦E 理 事(組織) 田中 礼文C 理 事 広中 正敏G 理 事(厚生) 藤井 宏次B 理 事(会計) 永田 英生A 理 事 新谷 澄男E 理 事(書記) 山脇 俊明E 理 事 金澤 俊文G 理 事(出版) 加藤 裕生A 理 事 小南 速雄B 理 事 森 二三夫E 監 事 木村 彰孝@ 監 事 甲斐川昭造@ 敬称略 昭和53年5月24日の第1回役員会を初めとして、7月1日の第1回班長会、その後班長会を4回、代議員会を2回、総会を1回、その間規約改正小委員会を発足させ、高田委員長の答申がなされるまで計8回の小委員会を開くなど今までの問題を着実に解決し、昭和53年8月には「会報」創刊号を発刊し、その後の活動は、会報、班長会、代議員会、そして総会などで、会員の皆様にはご存知のことと思いますが主なものを列記しますと、名簿の発刊、学術活動(地区学術講演もあわせて年3回)、会報発行(年3回)、班長会、代議員会、各班めぐり、他校同窓会との懇親会、規約改正(昭和54年4月15日改正)、会員親睦バス旅行、会費徴収率アップ、本部・支部同窓会の任期合わせの件、本部同窓会との合同役員会、各班への助成、そして今般の会誌創刊号と着実にその活動の輪を広げています。 昭和54年4月15日の総会で念願の規約も改正され、執行部の補強充実がなされました。 下記が昭和54年度新役員名簿です。 昭和54年度 新役員 支 部 長 大島 慶久@ 副支部長 中野 芳徳A 副支部長 渡辺 俊之A 専務理事 阪上 隆則D 常務理事(出版・厚生) 加藤 裕生A 常務理事(組織・書記) 田中 礼文C 常務理事(渉外) 加藤 直彦D 常務理事(学術・会計) 大口 弘和E 理 事(渉外) 竹田 竜弥D 理 事(渉外) 下条 長彦D 理 事(学術) 中島 俊朗E 理 事(学術) 波多野 光彦E 理 事(学術) 元家 宗平E 理 事(学術) 鈴木 晴季G 理 事(組織) 広中 正敏G 理 事(組織) 森 二三夫E 理 事(組織) 飯島 英文G 理 事(厚生) 藤井 宏次B 理 事(厚生) 土川 三郎D 理 事(会計) 永田 英生A 理 事(会計) 新谷 澄男E 理 事(書記) 山脇 俊明E 理 事(書記) 金澤 俊文G 理 事(書記) 三輪 英則F 理 事(出版) 小南 速雄B 理 事(出版) 山田 昌士F 監 事 木村 彰孝@ 監 事 甲斐川昭造@ 敬称略 愛知県支部が発足して4年足らず、発足までの約9年にわたる苦難の道を乗り越えて山田執行部から大島執行部へと発展的に移行し、ようやく愛知県支部の組織作りも形を整えるまでに成長しました。 全同窓会員の過半数をしめる愛知県支部、今後卒業する在学生の多くは愛知県出身者という特殊事情の支部活動は現在の開業規則、その他の歯科界の問題をも含めて、ますますその活動が注目されています。我々執行部も会員の皆様のご指導のもとに今後とも一層の努力をする決意です。 以上(昭和55年3月20日発行 「会誌」創刊号 「愛知学院大学歯学部同窓会愛知県支部の沿革」資料抜粋) <歴代支部長>
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